今日は、本日も粛々。
8月の「映画で学ぶ知の技法」は、
戦争児童文学の傑作
ビルマの竪琴でした。
いつも映画を観て感想、
授業を受けて再度感想という流れなのですが、
今回は最初の感想に、
「戦争は悲惨だから、二度と繰り返してはいけない」といった内容の感想は
必要ありませんと、
敢えて言ってから臨みました。
するとやはり「何と書いていいかわからなくなりました」
という生徒たちがごくわずかいて、
敢えて縛りを設けてよかったと思いました。
意図はシンプルです。
まず、どんな気持ちの人たちがいたのかを受け止めてほしかった
からです。
善悪の判断って、人間はどうやって行うかというと、
たくさんの事実を知ることで判断できるようになります。
その事実を知る前に、
具体的にいろんな気持ちを知らないといけません。
具体例を挙げて説明すると、
喧嘩したときに何かしら罰をくらったとしましょう。
罰という価値判断には、
喧嘩の内容がどうであったかという、事実の積み重ねが必要ですが、
罰という価値判断が有効であるためには、
罰せられると、どんな気持ちになるのかがわかっている状態でないといけません。
戦争をあるひとつの価値判断でばっさりやるのは簡単なことなのですが、
ある価値判断をしても、今回でしたら戦争という事象の、
ごくごく一部を切ったにすぎません。
ビルマの竪琴は架空の話ですが、
敵味方とか、いいやつ悪いやつだとか、いいこと悪いことだとか、
そういう価値観を離れて、
どんな人たちが、どんな気持ちでいたのかを、
とりあえず真正面から見てほしかったのです。
戦争や争いをとにかく悪いものだとしてみると、
降伏をせずに玉砕を選んだ兵士たちは、ただの愚かな行動に見えちゃいますし、
日本兵と敵国が歌や音楽を通じて心が通い合ったシーンは、
感動的ではなく、当たり前でしょうみたいな感覚でしか見えませんし、
僧になってビルマに残る主人公はすごいと思いましたみたいに、
どこがすごいんですか?と突っ込みたくなるようなことしか書けなくなってしまうでしょう。
とりあえず、どんな気持ちの人たちがいたのかを知ってのち、
いずれ大きくなったときに、日本中世界中の、
人類の負の遺産みたいな施設にも足を運ぶようになるでしょう。
本も読むようになるでしょう。
そうして事実を積み重ねてから、
価値判断をすればいいと思います。
とりあえず大人受けしそうなテンプレ価値観から、
今こそ別れめ、
いざさらば
(笑)
ごんぼっち