今晩は、本日も粛々。
昨日、小1生の子がめちゃくちゃ考えられるようになったと
ブログに書きましたが、
それを読んでくれた別の小1の生徒の保護者の方が、
小学校で、考える力のところが全部Aで、
懇談で学校の先生に褒められました!
ここまで考えられるようになる子は滅多にいません。
と、嬉々と報告してくださいました。
寺子屋の本領発揮です。
年中さんのとき、
難しいと駄々こねたり、泣いたり、むずがったりしていたのですが、
(実は、このようになるのはとてもいいことです、保護者の方は狼狽えるのですが)
本当にしっかり取り組めるようになりました。
過程をしっかりふんでいるので、
こないだもテストが70点から80点台に上がったときに、
めっちゃドヤ顔で持ってきました(笑)。
採点したから知ってるっちゅーねんと思いながら、
妻も喜んでいました。
というのは、
過程をしっかりわかっているので、点数が伸びたり、
わかる出来事が増えたのが嬉しかったんだと、
すごく伝わったんですよね。
保護者が点数という結果だけに囚われていたり、
その影響で、生徒本人もそういうマインドでいると、
100点の時だけ自慢するんですよね。
仮に過程がまずかったとしても。。。
私がこのお話を聞いて、注意が向いたのは実は、この喜びの部分より、
>ここまで考えられるようになる子は滅多にいません。
という学校の先生の一言なんですよね。
確かにそんなにごろごろいるわけではないかもしれませんが、
クラスで2~3割くらいはいるでしょう、という感覚なのですが、
そこまで酷いわけですね。
先ほど、
「難しいと思った時に感情的になる子は、とてもいい傾向」と言いました。
では、考える力が全く育っていない子はどうなるかと言いますと、
足をぶらぶらさせながら、
ぼーっと窓の外や天井を眺めています。
例えはよろしくありませんが、
もうひとつの仕事柄(坊さんです)、身近なので言いますと、
認知症になった老人と同じ表情で、ぞっとします。
こういうのを「土台」と言います。
土台が無いところに何を積み重ねても、しょうがないですが、
大人は意外と「当たり前じゃん」と軽視していますが、
どれだけ強調してもしすぎることはないくらい、
大事です。
ごんぼっち