今晩は、本日も粛々。
高校ハイレベル現代文の授業で、
私の世代のアイドル、キンキンこと阿部謹也先生の主著、
『「世間」とは何か』が登場したので、
二週に亘って解説していました。
今回はその内容を深く掘り下げるため、
夏目漱石『私の個人主義』を扱いました。
勉強にはいろんなステップがあるのですが、
ひとつは勉強の仕組みと、労働や法律に基づいて実行する仕組みと似ているので、
役に立ちやすいというステップ。
事実は事実なのですが、
目の前の人参ですので、とても初歩的なステップではあります。
二番目のステップとしては、
自分がうきうきと生きるためのヒントを探すための勉強という側面。
今日はこちらをお話ししてみました。
計画的に勉強したり、
PDCAサイクルを回すように合理的に日常生活を送ったりしていると、
物事はスムーズに動くのですが、
自分の中に閉塞感みたいなものは溜まりやすくなってしまい、
なんだかなぁ、という感じになりやすいもので、
そういうときに大切なのが、
自分を耕すみたいな行動だったり、
大して役には立たない原初的な衝動を満たす行動だったりするわけです。
そういうのも勉強からちゃんと得られるところが、
学問のすごいところなのですが、
残念ながら「受験に間に合わせる」というもののために、
なかなか取り扱ってはもらえないわけです。
そういう風潮に、
アンチテーゼをぶつけたい気持ちは、
とてもあります。
私はそういうときに、国語を使ってやることが多いので、
寺子屋は小中高と国語重視という方針を、
採っています。
ですから、国語というより、
学問の基本をやる授業みたいなものです。
受験勉強はそこから生えた、
枝葉のひとつというイメージです。
ごんぼっち