大学受験

受験国語は、普通の国語とは違う・・・?

今晩は、本日も粛々。

 

夏になると受験関係の記事も多くなってきて、

一応目を通してみるのですが、

国語関係は本当に面白いものが多くて、

毎度パソコンやiPadの前で、崩れ落ちて笑っています。

 

今回は某大手新聞社系統のニュースサイトで、

中学校受験のプロと銘打った人の記事です。

 

NGワードってありますよね、

これ言った瞬間にアウト!ってやつ。

国語でいうNGワード的なことを述べてみましょうか。

ちなみに国語NGワード界のトップofトップ、

国語を上げるには本を読め!

についてはもう書いてあります

 


「受験国語は問題作成者の意図に通りに答えるもので、

一般的な読解力と別物です」

 

なんなんでしょうね、こんなことを言う人。

確かに、質問によって誘導がなされることはあります。

(例えば、「端的に答えよ」→まとめてある部分から探してね、のように)

 

しかし、他の科目でもそういうような条件はたくさん付きますが、

社会や理科の記述問題は、一般的な知識じゃなく、

問題作成者の意図に答えなくてはいけない、別物の科目です、

なんて言いますか?

 

受験国語と一般的な読解力は、そう大差はありません。

ただ、受験英語は「作品の一部分だけで全てを判断しろ」というルールがあるだけです。

それが入試問題で必ず書いてある、

 

次の文章を読んで、あとの問いに答えよ

(=次の文章内に書かれていないことは無効)

 

という断り書きです。

 


よく作家が自分の作品が入試に取り上げられたので解いてみたら、

作者なのに満点が取れなかったという話がありますが、

当然だと思います。


作家は物語全体や、場合によっては他の作品とも連続して考えていますが、

入試問題はごく数ページだけで判断できることしか書けません。

答えが違ってくるのは当然です。

 

ちなみに今共通テストで、複数のテキストを読んで答えるなんて問題が出ていて、

今までの受験国語しかやってこなかった子たちは、

難しくなった!なんて悲鳴を上げているようなのですが、

 

関連する複数テキストを読むなんて、

一般的な読解力では当たり前のことです。

(他にも、一部じゃなくて全部読んでみるも「当たり前」のひとつですね)

一部で完結してしまう受験国語に慣れてしまうことが、

受験国語ですら点数を取れないことに直結してしまう事態になってすらいます。

 

笑えないくらいの落とし穴ですね。

 

受験なんて、「その学問で大事」と言われていることをちゃんとやっていれば、

普通に点数が付いてくるものです。

点数を取る用の特別なことをするから、

かえって頭が悪くなっていくんだと思うのです。

 

ごんぼっち