寺子屋の指導

だから合格だけ目指してもつまらないのです

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今晩は、本日も粛々。

 

泉丘高校で、春休みの宿題を全部終わらせずに

入学式を迎えた子が、一定数いたようです。

まぁ、私もそこまで真面目じゃないので(笑)、

何かしら主義主張があって宿題をやらなかったというのでしたら、

やるな、お主。

と思うのですが、

どうもそうではなさそうなのです。

こんな程度でも、泉丘なら合格しちゃうんですよ。

高等学校のせいでは、まったくありません。

傾向と対策だったり、

義務教育程度のテストで調子こいたり、

その程度の人間を定員の問題で排除できない状態が、

高等学校の先生にとって、とてもかわいそうです。

これで同じく、傾向・対策・ひたすら特訓で、

いい大学に合格したとしても、

「今日日の日本人労働者は、勤勉さですら外国人に勝てない」とか、

「いい大学出ても、使えない子なんてたくさんいるよ」とか、

そんな話になるのも、

当然だと思います。

受験勉強と真正面から向き合わずに、

小賢しく躱しているのを、

周りの大人が善意で発見できなかったのか、

言っても無駄だと、諦めてスルーされてきたのかは、

わかりません。

ただ、

本当の意味で大切にされてこなかった子たちなんだろうなぁと思うと、

複雑な気持ちになります。

そろそろ執筆活動に入ります。

勉強法についての本を書きますが、

こういう受験バカになるのではなく、

受験の意味を噛みしめていけるような子に育てたいという想いで、

書いてみようと思います。

ごんぼっち

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