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計画を離れて、現在に座標軸を置く

今晩は、本日も粛々。

 

ふらっと旅に出ていましたが、

遊びたい気持ちすらも起こらない状態になりそうになったとき、

私は計画とは無縁の旅に出ることがあります。

 

今回もそんな感じで、

旅に出る前に決まっていた目的地は、

福島の栄螺堂だけで、

まぁ途中で群馬通過するので、スネークセンターに行きたいと

奥さんが言い出したくらいでしょうか。

 

残りは全く決まっていませんで、

交互に運転しながら、

ぽっと話で出てきたり、

道すがら調べてみたり、

見かけてふと気になって行ってみたり、

 

そんな感じで結局9日?10日?くらい、

ふらふらしていました。

 

予想外に面白いことも起きますし、

今回はありませんでしたが、がっかりすることもあります。

それらもまた一興です。

 

私はどうしても両方の仕事柄、

人の過去と未来を考えることが多いので、

しかも内面的なことや知性、感情的な部分まで、

四六時中ですので、

ときどき現在起こっている出来事に、

1人でいるときに、

感情が全く反応しなくなったり、

支離滅裂な感情になったりします。

 

そういうときに、現在に座標軸を置くイメージを、

中学時代から持つようにしていました。

後に知ったのですが、

古代ギリシャの哲学で説かれていた方法ですので、

我ながら古臭い人間だなと思います(笑)。

 

そうすると、身近な人や、知らない人でも、

その人が創作したものや、力を注いでいることへの感受性が高まり、

やっとその人の「生きる」ことに結びついている部分を感知して、

自分を回復できるようになってくるイメージです。

 

こういうね、自分の感性をチューニングする方法を、

自分なりに持てるようになると、いいんですよね。

たいていの大人は、

自分なりのそういうものを持っているものですよ。

 

多分(笑)。

 

ごんぼっち